2009年7月28日火曜日

「大内宿」と「塔のへつり」へ出かける

 学会に出た翌日、「大内宿」と「塔のへつり」に出かけた。佐野サービスエリアと那須塩原サービスエリアで休憩をいれて、11時ごろ「塔のへつり」に到着。

 大川の渓谷にあり、自然の浸食による奇岩が連なっている。「へつり」とは方言で、「険しい崖」の意味で、「塔」のような形状から「塔のへつり」といわれており、それぞれ、「鷲塔岩」「鷹塔岩」「獅子」・「屋形」・「櫓」・「九輪」・「尾形」・「象」・「護摩」・「鳥烏帽子」と名付けられている。まず展望台から写真におさめ、石段を下りて、つり橋まで行き、対岸に渡る。右手に大きな洞穴がある。左手の細い階段を上ると仏堂があり、虚空像菩薩が祭られている。このお堂は、大同2年(807)に坂上田村麻呂が創建し宝暦3年(1753)に再建されたもの。この景勝地は、昭和18年(1943)に国指定天然記念物に指定されている。

 ついで、大内宿へ行く。駐車場は家族連れの車であふれ、脇道に路上駐車をしている車も多い。道を渡ると車道から一段下がったところに大内宿がある。最近は見ることも少なくなった、かやぶきの民家が並んでいる。宿場としては日本で3番目に「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれているが、全部が土産物店やそばを扱う飲食店で観光地化されすぎているように思われた。三澤屋の「ネギそば」が名物で、ここに来た以上は入らねばならない。箸代わりのねぎは薬味としてかじれば、辛みが刺激となって食が進む。食後は、まず宿場の端までいってみた。道幅が広いため、人は大勢出ているが、縁日のような混雑はない。つきあたりに看板があって、急な石段を上がると神社がある。右手のわき道を進むと視界が開けて、宿場町を写真に収めるのにいい場所がある。そのあと女坂を下って、土産物屋を物色しながらあるく。復元された本陣があり、入館。大きな建物ではない。屋根裏に養蚕をしたと思しき部屋がある。中山道の妻籠宿・馬籠宿は坂道で道幅が狭いが、こちらは平地で大通りがあり、道の両側に旅籠が軒を連ねている。当時は人や物資の往き来で、さぞにぎやかだったに違いない。14時20分に出発。

 19時ごろ、東京の自宅へ帰りついた。大内宿も、塔のへつりも、東京からは遠くないが、とはいっても行くにはタイミングが必要だ。今回は、偶然、時間がとれ、しかも晴天にも恵まれた、

2009年7月17日金曜日

栄転を聞く

 学部でかかわったゼミ生が、国立N大学の法学部法学科国際法政の準教授になった。前任地のI大学も寒いところだったが、今度の任地も寒い。しかし、だいぶ郷里に近付いた。久しく会うこともないまま時を過ごしているので、さとっちの中では、「あいかわらず、華奢でちょっと小生意気な学生」のままだ。

 いい話があれば悪い話もある。卒業後もコンタクトがあったゼミ生のOBが会社を辞めたらしい。それまではブログが頻繁に更新されていたが、「退職届を出した、職を探し中」、という記事のあとは、止まったままだ。学生時代は、やり手で、活力ある奴だったから、苦境を乗り越えてくれると思うが、時期が時期なだけに心配だ。

  先日は、担当した法律相談に大学のOBが来た。H先生のゼミ生だったらしいが、先生の名が出てこない。ゼミといえば、師弟の人的なつながりが深いから、恩師の名を忘れることは少ないように思われるが、「あの先生はその程度の師だったのかな」、と思ってしまった。相談に来るくらいだから、やっぱり、この卒業生も人生の浮き沈みを経験しているようだった。ただ、仲間と事業を起こして、頑張っているらしく、その点ではほっとした。

2009年7月13日月曜日

スポーツ法学会の理事会に行ってきました

 東京に自宅はあるが、職場は新幹線を使わなければならないところにあるから、理事会の召集通知がメールできても、(大学の雑務、講義の準備や研究資料の収集など)と金がなければ、欠席せざるを得ない。今回は、理事会の後、スポーツ基本法の研究会とスポーツ仲裁機構の研究会があったので、予定を調整して出かけた。

 新幹線はネットで予約した。2か月ぶりの東京。田舎暮らしを満喫する生活を送っているので、東京駅が近づくにつれ、高層のビル街に圧倒され、空気の汚れや息苦しさも感じる。原宿でおり、岸記念体育館まで歩く。日ごろお世話になっている先生方にあいさつ。まもなく理事会が始まる。入退会は審議事項だが、入会はともかく、やめたい者をやめるなとはいえない。さらに、9月に開催されるアジアスポーツ法学会の大会と前倒しになった日本スポーツ法学会の大会の発表申込状況、会場でのスタッフや手当、韓国と中国からの参加者の送迎や宿泊費・旅費の支払い範囲、寄付・広告費など集金状況、協賛団体など、が取り上げられた。

 基本法研究会は、スポーツ法学会が作成した基本法案を土台に、どのように現状に合わせるのか、が検討された。学会案は、1997年に作られたが、薬物乱用やセクハラ、子供や青少年・女性への身体的・精神的暴力の防止、中立機関での紛争解決、など、その後に問題になった状況の変化をとりこんで、国民の権利としてのスポーツ権を踏まえて、国が法政策に反映できるような内容に修正するべく議論が行われた。

 仲裁機構の研究会は、調停事案や仲裁の事案が紹介され、討議にかけられた。また、CASの仲裁事例で日本の参考になる資料が配布された。CASの裁定と調和のとれた裁定を日本の仲裁機構が行えるようにすることと、CAS裁定の欠陥を日本の仲裁機構が踏まないようにする意味も含み、 それぞれの裁定が簡単に紹介された。

 13時の理事会から20時を回る研究会まで7時間余り。さすがに疲労感が残った。しかし、また、さらに自分を高めるため研鑽を続ける意欲もわいた。