2009年11月19日木曜日

毒ぶどう酒事件で有名な名張を歩く

 三重県の赤目四十八滝は、この時期は、紅葉と滝が作る渓谷美で有名だ。朝は雨で風もあり荒れた天気だったが、名阪自動車道へ入り、大山田PAを過ぎるあたりで曇り空になった。亀山PAを通過したころには太陽が顔を出した。滝がある名張市は、「毒ぶどう酒事件(1961年)」で有名なところだ。ぶどう酒に農薬が入れられて女性5人が死亡したが、妻と愛人が死亡したOさんが三角関係に悩んだ末に行った犯行とされ死刑の宣告を受けた。2007年に弁護団が最高裁に再審を請求しているが、自白の信用性が最大の争点になっている。赤目四十八滝の駐車場に11時35分に到着。近くの土産物店で昼食をとり、入場料を払ってサンショウウオの水族館の中を通って名張川の渓谷に入った。

 起伏があり、階段を上ったり下ったりしながら3キロほど遡った。入口から間もなく、サンショウウオの口から水が出ている「じゃんじゃの水」がある。飲料水ではないと断り書きがあった。行きは、撮影を「不動滝、千手滝、布曳滝、担滝、琵琶滝」の5滝に絞って進み、70分ほどで、最後の岩窟滝まで行き着いた。帰りは、手ごろな被写体の位置がおおよそ分かっているため、撮り漏らした岩(八畳岩・七色岩など)や滝(琴滝、雛段滝、夫婦滝、雨降滝、姉妹滝、釜ヶ淵、百畳岩、陰陽滝、竜ヶ壺、大日滝、屏風岩、乙女滝、銚子滝、行者滝、など)、川筋にかかる紅葉を撮りながら戻った。

 ここは、4時間くらい欲しい。滝の周辺はマイナスイオンが多く、森林の空気や香りにはリラックス効果があるといわれている。特に樹木が発するフィトンチッドと呼ばれる揮発性物質が、抗がん作用のあるナチュラルキラー(NK)細胞を活性させ免疫力を高めるという。紅葉を楽しんだり、途中の茶店に立ち寄って一服したりするようなゆっくりした歩き方をしたい場所だ。

 帰りは、渋滞に巻き込まれることなく、20時ごろ宿舎に帰還。紅葉はこれからというところだったが、現地では雨が上がり、まずまずの写真がとれた。岩場があるのでトレッキングシューズで出かけたのも正解だった。

2009年11月5日木曜日

映画「休暇」の上映会について

 岐阜弁護士会からファックスが届いた。

 12月12日13時30分から17時まで、朝日大学6号館2階の講義室で、映画「休暇」の上映会が開催される。

ストーリーは、http://www.ybs.ne.jp/2008kyuka/によれば、以下の通り。

「死刑囚を収容する拘置所に勤務する刑務官たち。彼らは常に死と隣り合わせの生活を余儀なくされる。ベテラン刑務官、平井もそのひとり。心の平穏を乱すことには背を向け、決まりきった毎日を淡々とやり過ごす男。そんな平井がシングルマザーの美香と結婚することになった。なかなか打ち解けない連れ子との関係を築く間もないまま挙式を目前に控えたある日、死刑囚・金田の執行命令が下る。執行の際、支え役(死刑執行補佐)を務めれば1週間の休暇を与えられると知った平井は、新しい家族と共に生きるため、究極の決断をするのだった…。
 原作は「戦艦武蔵」「魚影の群れ」「闇にひらめく」(『うなぎ』の原作)の文豪、吉村昭の短編小説。今まで無為に過ごしてきた男が人生を見つめ直すために乗り越えなければならない大きな壁。希望を奪われた死刑囚の抱える闇と、彼の未来を奪う使命を託された刑務官たちの苦悩。さらには彼らと関わりを持つ者の深い哀しみと愛情。死刑に至る日々と親子3人のささやかな新婚旅行を通してそれぞれの幸福、家族の絆が浮き彫りとなり、生死と直面した人々の骨太で感動的なドラマが展開されていく。」

 料金は無料。刑務官を志望する諸君には、ぜひ、見てもらいたい作品だ。

 当日は、午前中、さとっちは補講をやることになっているので、ほかに仕事がはいらなければ、見に行くつもりだ。

2009年10月24日土曜日

「法律学の学士力」について考える


 私立大学情報教育協会から「法律学の学士力」に関する試案が届き、意見を聞かれた。法律学教育FD/IT活用研究委員会によれば、「法律学の学士力」とは、下記が到達目標になる。

1.法に関する基本的知識として、法の全体像を把握し、主要な実定法のルールおよび概念について、その意味を理解し、具体例および定義で説明できる。

2.法的問題を解決する能力として、事例問題の事実の概要を客観的に把握し、解決の根拠となる法ルールを発見し、それを適用して,妥当な法的解決を見いだし,その理由を説明できる。

3.広い視野から,法の基礎を構成する原理を参照して,法の分析を試みることができる。

4.法的知識を活用して、市民として,そして職業人として紛争の予防および生活や社会の発展のためのプランを立案することができる。

 昨年秋に送られてきた案は、今回よりすっきりしていて、法学士というためには、「1. 実定法に関する基礎的知識、2. 事例問題を法的に解決する能力、3. 法を批判的に分析・評価する能力」を備えなければならない、となっていました。その時も、基準に従って検討しましたが、今回は、新しい基準に従って評価してみました。

 まず、講義ですが、1.「法に関する基礎知識」を話していますし、学生が聞き落とさないようにレジュメも配布しています。また、民法の講義では、3.「広い視野からの法分析」」を考慮して、必要に応じて商法や民訴、外国法、法制史、などにも触れていますし、4.「市民や職業人として紛争の予防」ができるように事例を示し、予防を意識して話しています。ゼミでは、2.を意識して、参考判例を示し、原典を読ませて事実を確認させ、適用すべき法文を発見させ、その解釈の是非を検討させて、妥当な法的解決を導けるよう指導しています。この結果、同様あるいは類似の事案にたいして、4.どうすれば「紛争を引き起こさないで済むのか」も考えさせています。したがって、総論としては基準に合っているといえますが、参加者の意欲を引き出す方法については、なお試行錯誤を続ける必要があるかな、と感じました。

2009年9月11日金曜日

学生野球憲章の改正第一次案を読む

 来年から、学生野球憲章が変わる。憲章の改正第一次案が公表された。スポーツを看板にしている大学や高校は多いが、憲章の理念と矛盾するような実態があるため、これにタガをはめようとする狙いがみえる。9月7日に東京第二弁護士会の法政策研究会と学会の契約法研究会が合同で研究会を開催することになり、さとっちもこれに参加した。

 学生野球は、学校教育の中に位置づけられ、スカウトした学生を学校の宣伝の道具とみて、授業を受けさせず、練習にあてさせることは、入学させた学生の高校教育や大学教育を受ける権利を違法に侵害する(10条)とされた。また、負傷して野球をやれなくなった学生に退学を強いることは許されず、学力がないのに特例として卒業させることも、高校や大学の教育をしないまま社会に送り出すことになり、好ましいことではない。教育を受ける意思がないものを学生として受け入れて、授業に出ないまま野球をやらせておくことも許されない。試合に出す選手は、教育課程を修了できるレベルの者から選び、卒業の見込みが立たないような者を選手に登用してはならない(13条)とされる。これまで、野球ができれば、勉強は問わないという風潮が、日本では強かったように思われるが、来年からこれがダメになる。

 野球ができるから奨学金を与えることも禁止される(23条)。一般にも開放された奨学制度の中で、該当者がたまたま野球をやっていたということでなければならない。また、「野球部の部員だから生活支援を与えること」も禁止される。寮費がただ、食費がただ、ということが、他の一般学生に対してもそうでなければ、野球をやっているから与えられた利益になるから禁止される。スポーツ用品の会社が、ある選手が将来有望だと用具を無料で提供することも行われてきたが、これは商業的利用とみられるから禁止される(18条)。

 野球を「学校の売り」にするにはいい指導者に来てもらわなければならない。このためには、破格の給与を出すことが行われてきたが、「教職員の給与に準じた社会相当性の範囲内」でなければならなくなる。また、指導者が、部員とプロ団体の間を取りもって、金品・経済的利益を受けることも禁止される(24条)。

 部員の不祥事について部として制裁を受けることは、他人の罪を周囲が被る連座といえるからこれをやめ、部員の不祥事が個人の非行に留まり、部に責任を問うべきものでない(=憲章の基本原理に反しない)場合には、部に対する制裁はなくなる(29条)。


 そのほか8章には救済手続きなども定められている。憲章といいながら、抽象度の高い原則規定を置くのではなく、教育における野球部のあり方を再考し、詳細な規定により、加盟団体や学校を縛り、正義(=理想)の実現を図ろうとしている。「さとっち」は、大要は賛成、細かな点に異論あり、といった立場だ。憲章は、野球に限られているが、他の学生スポーツも本来そうあるべきだろう。

2009年9月5日土曜日

「高齢者の権利の実現と擁護」を聞く

 9月5日(土)13時から、瑞穂市総合センターで開催された「朝日大学公開講座2009 in 瑞穂」へ行ってきました。総合センターは、岐阜のアパートから20分くらいのところにある。今回のテーマは、「高齢者に関する法律」で、第一講は、愛知弁護士会の大塚先生の「高齢社会を生きるための法律知識」、第二講が岐阜弁護士会の畑先生の「高齢者の権利実現と擁護のために」であり、そのあと岐阜弁護士会の山田・太田・西本先生がパネラーになった「パネルディスカッション」が行われた。新型インフルエンザの予防のため、会場関係者はマスクを着用。受付近くに消毒薬が置かれ、入場者もマスクをした人が散見された。

 当日は、岐阜は晴天。大塚先生は「歌う弁護士」として有名。ドレス姿で登壇。まず、臨終から葬儀終了までの流れと各段階における心構えを述べられた。次いで、高齢者における離婚と財産分与(住宅ローンが残っている建物、退職金、年金分割など)、病気への対策(家庭医を持つこと、任意後見契約の締結)、最後に、「親愛なる子供たちへの手紙」を紹介された。この手紙は、ぼけた親が子供に心情を伝える文面だ。子供が母親に何度も好きな絵本を読んでもらうたびに親が感じた幸福感を、ぼけた親に繰り返し答えるときに子供が感じてほしい、風呂に入りたがらない子供を追いかけて風呂に入れた親の気持ちを同じ状況にある親に対して感じてほしい、といった内容だ。予定された内容は時間内で解説しきれなかったが、この手紙で、聴者の心をつかんだように感じた。

 畑先生は、岐阜県の65歳以上の高齢者が人口の22.9パーセントで、全国平均の22.1パーセントを上回っており、振り込め詐欺の被害が、全国4番目か5番目であるといい、手口を紹介され、対策として、合言葉を考えておくことが有効だといわれた。また、ぼけた高齢者は悪徳業者のカモになるが、子が老親と別居している場合は、被害が明らかになるのが遅れて救済が難しくなることが多いから、周囲の人が見守るような活動を展開することが有効だと指摘した。さらに、7年以上過払い利息を払っている場合は、お金が返ってくる可能性が高いから弁護士会や消費者センターに相談してほしい、と言われた。高齢者に対する虐待を防止するためには、地域包括支援センターの活用や成年後見制度(特に任意後見制度)を活用してほしいとも言われた。ポイントを押さえて、時間内に上手にまとめられたが、流した部分に多くの問題が含まれている。それを聴き手に感じさせないように流したところに話のうまさを感じた。

2009年8月15日土曜日

院生の図書

 うちの大学院のいいところ(=「売り」)は、院生に図書費が付いている点だろう。額は少ないが、指導を受ける先生の印鑑があれば自分で好きな本を購入できる。「さとっち」はK大大学院だったが、こんな制度はなかった。ほかの大学院でもこんな制度を持っているところは少ないだろう。

 しかし、院生が購入した本を、院生ではなく、指導する先生が、講座図書として管理しなければならない仕組みはちょっといただけない。これまでも、毎年7月末に、図書館に講座(研究室)図書の存否について調査結果を報告してきたが、調査の範囲は「登録本」に限られていた。ところが、今年4月から、公費で購入した本や雑誌は、登録本のみならず、「消耗図書として申請したもの」も管理が求められ、紛失すれば、弁償しなければならなくなった。院生が購入した本も消耗申請いかんを問わず、指導する教員が管理することになった。

 しかし、消耗図書は、「長期保管する必要のない本」という意味だから、越年管理を要求することは不合理じゃないだろうか。また、院生が希望した本が、講座の本として納入され、教員がチェックした後、院生に貸し出される形をとるならともかく、直接院生が購入して、教員が現物も本のコピーも見ないのに、本を管理せよと言われてもなあ、と思う。とうとう教員が、院生の本の管理にも気配りをしなければならないちょっと嘆かわしい時代が来たようような感じがした。

2009年8月2日日曜日

法学部のオープンキャンパスに参加する

 突如、学部のオープンキャンパスの講義の話が舞い込んだ。昨年の「スポーツ紛争とその解決」と題した話は、笑いはなかったが、そこそこ人が入り、評価もまあまあだったらしい。そのため、今回の依頼になったらしい。学部には、話のうまい人はいくらもいるが、「さとっち」は、いたってオーソドックスな調子で話している。大河ドラマの兼続よりは景勝タイプと思っているが、家来はいないから、自分で考え、一人で行動する点がちょっと違う。笑いをとる芸はないが、コツコツ仕事をこなしてゆくタイプだ。「昨年のままでいいから」という入試課からの申し出だったが、1年たてば、社会が変化し法も変わっている。そのままというわけにはゆかない。依頼があったのは1週間前。前期定期試験の合間を縫って、当時のレジュメをもう一度見直してみた。

 前回は、客受けを考えて、「スポーツ紛争」を強調したが、今回は、「民事のトラブル」を前面に出し、「民事のトラブルとその解決」として、副題に「‐スポーツ紛争も含めて考えてみよう‐ 」 という言葉を入れた。構成は、前回は、「1 模擬法廷、2 民事紛争、3 スポーツ紛争と解決方法、4  法学部入学のメリット」だったが、今回は、「はじめに、1 裁判(法廷)での解決は下策、2  民事の紛争とその解決の仕方、3 スポーツをめぐる紛争とその解決の仕方、4  法学部に入学するメリットとは?」として、事件や資料を入れ替えたり、新たに設問を加えたり、図や表を入れたりして、記述を詳しくした。特に、聞き逃しても、文字を追えば、講義の内容が思い出せるよう配慮した。したがって、ページ数は前回の4ページから9ページに増えた。しかも、パソコンを使い、文字の色にも配慮し、まずまずの物が出来上がった。部数もをとりあえず50部をパソコンで作った。

 当日は、雨。今回は、テーマを変えたことも影響してか、客入りが悪く、正直、がっかりした。 こんなときは、寝て解消することもあるが、今回は、スーパーで仕込んだ材料をもとに、普段よりは、ちょっと手のかかる料理に挑戦した。当然、作業に集中するので、これも私なりの気分転換法になっている。

2009年7月28日火曜日

「大内宿」と「塔のへつり」へ出かける

 学会に出た翌日、「大内宿」と「塔のへつり」に出かけた。佐野サービスエリアと那須塩原サービスエリアで休憩をいれて、11時ごろ「塔のへつり」に到着。

 大川の渓谷にあり、自然の浸食による奇岩が連なっている。「へつり」とは方言で、「険しい崖」の意味で、「塔」のような形状から「塔のへつり」といわれており、それぞれ、「鷲塔岩」「鷹塔岩」「獅子」・「屋形」・「櫓」・「九輪」・「尾形」・「象」・「護摩」・「鳥烏帽子」と名付けられている。まず展望台から写真におさめ、石段を下りて、つり橋まで行き、対岸に渡る。右手に大きな洞穴がある。左手の細い階段を上ると仏堂があり、虚空像菩薩が祭られている。このお堂は、大同2年(807)に坂上田村麻呂が創建し宝暦3年(1753)に再建されたもの。この景勝地は、昭和18年(1943)に国指定天然記念物に指定されている。

 ついで、大内宿へ行く。駐車場は家族連れの車であふれ、脇道に路上駐車をしている車も多い。道を渡ると車道から一段下がったところに大内宿がある。最近は見ることも少なくなった、かやぶきの民家が並んでいる。宿場としては日本で3番目に「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれているが、全部が土産物店やそばを扱う飲食店で観光地化されすぎているように思われた。三澤屋の「ネギそば」が名物で、ここに来た以上は入らねばならない。箸代わりのねぎは薬味としてかじれば、辛みが刺激となって食が進む。食後は、まず宿場の端までいってみた。道幅が広いため、人は大勢出ているが、縁日のような混雑はない。つきあたりに看板があって、急な石段を上がると神社がある。右手のわき道を進むと視界が開けて、宿場町を写真に収めるのにいい場所がある。そのあと女坂を下って、土産物屋を物色しながらあるく。復元された本陣があり、入館。大きな建物ではない。屋根裏に養蚕をしたと思しき部屋がある。中山道の妻籠宿・馬籠宿は坂道で道幅が狭いが、こちらは平地で大通りがあり、道の両側に旅籠が軒を連ねている。当時は人や物資の往き来で、さぞにぎやかだったに違いない。14時20分に出発。

 19時ごろ、東京の自宅へ帰りついた。大内宿も、塔のへつりも、東京からは遠くないが、とはいっても行くにはタイミングが必要だ。今回は、偶然、時間がとれ、しかも晴天にも恵まれた、

2009年7月17日金曜日

栄転を聞く

 学部でかかわったゼミ生が、国立N大学の法学部法学科国際法政の準教授になった。前任地のI大学も寒いところだったが、今度の任地も寒い。しかし、だいぶ郷里に近付いた。久しく会うこともないまま時を過ごしているので、さとっちの中では、「あいかわらず、華奢でちょっと小生意気な学生」のままだ。

 いい話があれば悪い話もある。卒業後もコンタクトがあったゼミ生のOBが会社を辞めたらしい。それまではブログが頻繁に更新されていたが、「退職届を出した、職を探し中」、という記事のあとは、止まったままだ。学生時代は、やり手で、活力ある奴だったから、苦境を乗り越えてくれると思うが、時期が時期なだけに心配だ。

  先日は、担当した法律相談に大学のOBが来た。H先生のゼミ生だったらしいが、先生の名が出てこない。ゼミといえば、師弟の人的なつながりが深いから、恩師の名を忘れることは少ないように思われるが、「あの先生はその程度の師だったのかな」、と思ってしまった。相談に来るくらいだから、やっぱり、この卒業生も人生の浮き沈みを経験しているようだった。ただ、仲間と事業を起こして、頑張っているらしく、その点ではほっとした。

2009年7月13日月曜日

スポーツ法学会の理事会に行ってきました

 東京に自宅はあるが、職場は新幹線を使わなければならないところにあるから、理事会の召集通知がメールできても、(大学の雑務、講義の準備や研究資料の収集など)と金がなければ、欠席せざるを得ない。今回は、理事会の後、スポーツ基本法の研究会とスポーツ仲裁機構の研究会があったので、予定を調整して出かけた。

 新幹線はネットで予約した。2か月ぶりの東京。田舎暮らしを満喫する生活を送っているので、東京駅が近づくにつれ、高層のビル街に圧倒され、空気の汚れや息苦しさも感じる。原宿でおり、岸記念体育館まで歩く。日ごろお世話になっている先生方にあいさつ。まもなく理事会が始まる。入退会は審議事項だが、入会はともかく、やめたい者をやめるなとはいえない。さらに、9月に開催されるアジアスポーツ法学会の大会と前倒しになった日本スポーツ法学会の大会の発表申込状況、会場でのスタッフや手当、韓国と中国からの参加者の送迎や宿泊費・旅費の支払い範囲、寄付・広告費など集金状況、協賛団体など、が取り上げられた。

 基本法研究会は、スポーツ法学会が作成した基本法案を土台に、どのように現状に合わせるのか、が検討された。学会案は、1997年に作られたが、薬物乱用やセクハラ、子供や青少年・女性への身体的・精神的暴力の防止、中立機関での紛争解決、など、その後に問題になった状況の変化をとりこんで、国民の権利としてのスポーツ権を踏まえて、国が法政策に反映できるような内容に修正するべく議論が行われた。

 仲裁機構の研究会は、調停事案や仲裁の事案が紹介され、討議にかけられた。また、CASの仲裁事例で日本の参考になる資料が配布された。CASの裁定と調和のとれた裁定を日本の仲裁機構が行えるようにすることと、CAS裁定の欠陥を日本の仲裁機構が踏まないようにする意味も含み、 それぞれの裁定が簡単に紹介された。

 13時の理事会から20時を回る研究会まで7時間余り。さすがに疲労感が残った。しかし、また、さらに自分を高めるため研鑽を続ける意欲もわいた。


2009年6月28日日曜日

パソコンに悩む

 5月に結婚したOさんからメールが入った。1か月余り不通だったが、「旦那の父母が家にいるので夫婦水入らずにはなれない」、といったことが書いてあった。学生時代のOさんの顔を思い浮かべながら、思わず「にやり」とした。

 ヤフーメッセンジャーやウインドウズライブにより、互いのパソコンの使用状況がわかる。何千キロも離れているのに、机を前に向き合っているような気がする。先日は、カメラを介したパソコンの音声通話をライブで求めて来たが、そんな時に限って、当方のパソコンが、旧式なため答えられない。研究室のパソコンは、9年前に買ったもので、カメラは付いていないし、ネットを使えるようになるまで起動にかなり時間がかかる。さっと立ちあがる最新のパソコンを家で使っているため、この遅さは堪忍の限度を超えつつある。院生に使わせるにも、これでは困る。また、国際交流を円滑にするためにも、最新のパソコンの購入を考えねばなるまい、と思うようになった。研究費は乏しいので、痛い出費を覚悟しなければならないことになりそうだ。
 

指導を行う

 I君の大学院における研究対象は著作権だ。これまで出た文献を調査し、論点について、論文や判決を読み込んで、見解を深めてゆく方法もあるが、I君の場合は、学部時代は民訴ゼミであったから、まず、著作権について興味を感じてもらい、関心を深めてもらう方法をとることにした。したがって、内容的に面白く、しかも重要な論点が含まれる判決を読みこんで、検討している。

  4月のころと違って、読むのに慣れ、分析力が高まり、発言も的確になってきた。後期あたりで浮上し、研究対象をさらに絞り込んで、論文につなげてくれればと考えている。ともあれ、学生の伸びをみることは楽しい。

2009年5月11日月曜日

「武相荘」へゆく

 5月の連休を利用して、「武相荘」(町田市指定史跡)へ出かけた。小田急小田原線 鶴川駅北口から徒歩15分。バスも出ているが、この程度なら散歩程度の距離だ。「武相荘」は、白洲次郎の自宅だ。日本国憲法が制定される過程で、日本側スタッフとして英文の翻訳やGHQとの間の連絡を務め、歴史に一枚かんだ男である。NHKがドラマ化し、生い立ちやケンブリッジの留学など前半部分を放映したが、後半の部分で、憲法との絡みをどう描くか、注目したい。

 武相荘のホームページの年譜では以下のように描かれる。「1946(昭和21)年 次郎44歳/正子36歳
 2月13日、GHQが新憲法総司令部案(マッカーサー草案)を日本側に渡す。15日、次郎はGHQのホイットニー准将宛に「ジープウェイ・レター」をしたため、検討に時間を要することを説く。2月下旬、2名の外務省翻訳官とともにマッカーサー草案を翻訳(外務省仮訳)。《原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に(この方は少々上方弁であったが)「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。余談になるが、後日学識高き人々がそもそも象徴とは何ぞやと大論戦を展開しておられるたびごとに、私は苦笑を禁じ得なかったことを付け加えておく》(「吉田茂は泣いている」)。3月1日、終戦連絡中央事務局次長に就任。4日から5日にかけ、GHQビルにおいて徹夜で憲法案の逐条審議を行なう。6日、日本政府はマッカーサー草案をベースとした憲法改正草案要綱を発表。7日、憲法案作成の過程を「白洲手記」につづる。」

 武相荘は2001年10月に開館。10時から17時まで営業している。通常は月火が休みだが、祝日・振替休日は開館している。大きな武相荘の看板があり、坂を上がると長屋門が見えてくる。くぐると、受付兼ショップがあり、この並びに休憩所がある。壁には、大きな白洲のパネルが貼られている。さらに進むと母屋があるが、まず外を回る。庭の竹やぶには、筍が顔を出している。鈴鹿峠と書かれた道しるべがあり、小高い山を回る散策路が作られている。この後、母屋の玄関から入る。靴を脱ぎ、レジ袋に入れる。観光客がひっきりなしに来る。若い人は少ない。

 入ったところに、土間があるが、ここは板敷きになっている。ケーキやエビのソテー、ちらしずしなど食生活が再現されている。隣は、囲炉裏のある部屋。ここには白洲が好きだったという稲荷ずしや太巻き、食器類、が展示されている。その続きの部屋には衣装が展示されている。奥の書斎は正子の執筆の部屋らしい。障子のはまった窓から見える新緑がきれいだ。小さなすわり机に原稿用紙。本棚には文芸書がぎっしり。展示室には、白洲夫妻の写真や年表、食器類など。第一ギャラリーには、ダイニングテーブルと写真、装飾品の展示。母屋は、お茶処へとつながるが、一般人は、ここから外へ出る。お茶処はまだ時間が早いせいか、営業はしていなかった。離れに当たるのが、第二ギャラリー。外階段を上がった二階の小じんまりした部屋には、NHKのドラマのパネルが展示されている。この下には、物置があり、農具やタンス、臼を利用した新聞受けなどがある。

 周辺は、コンビニや住宅が密集していて、次郎や正子が歩いた昔の鶴川の面影は失われている。しかし、一家5人が生活し、客人を迎えたこの場所だけが、昔の農村の趣を残して、時間が停まっている。母屋は、床暖房が施され、導水管が敷居に張り巡らされていたという。欧米の生活が長かった夫妻の感覚が生かされているようだ。管理は、娘の牧山桂子がやっているらしい。

 じっくり見て、駅へ向かった。帰宅後、楽天へ白洲の伝記や写真集、著作を注文した。

2009年5月3日日曜日

演習事始め

 4月6日から大学院の演習が始まった。

 演習1は、修士論文の準備。演習2は、修士論文の作成。

 「こんなことを研究したい」ということは、入学試験の願書に添付される書類に記載することになっている。したがって、演習では、それに関する論文や判決を読むことになる。どんな文献があるか、調べるため、1・2回は、パソコンや書誌による調査方法を指導している。時間の関係で、自作の資料を配布し、さらに、研究室からパソコンを操作して、論文や判決を打ち出して、文献を選択させている。

 27日は、最高裁の判決をとりあげた。受講者の課題は著作権。著作権は、学部では無体財産法の講義で取り上げられるが、受講者はとってこなかったようだ。そこで、特殊講義の受講を促すとともに、最新のテキストを購入し、読むよう指導した。初回の報告は、調査不足や読みの甘さが目立った。

 演習2の受講者は、論文作成のための基礎作業は終えている。4月中は、受講者の希望に応じて、法制史の関連文献について検討をくわえた。成年後見制度を民法の中の制度とするか、社会保障の制度に関連付けるか、この中間の路線をとるか、といった点で構想が定まらないようだったが、27日に本人が決断を下して、5月から執筆を始めることになった

2009年3月24日火曜日

T君の修士修了を見送る


 大学院の修了式が3月12日にあった。院生で記憶に残ったのは、市役所派遣のT君だ。大学院の民法特殊講義を聴講してくれて、家族財産に関する判例を数名の院生とともに検討した。大学院は学生が少ないから、勉強意欲にあふれるT君の参加は、ほかの院生にもいい刺激を与えた。

 また、学部の債権総論や債権各論、法学も聴講してくれたので、今年度は、これまでになく、緊張感をもって講義を続けることができた。また、昨年暮れに行った、名古屋拘置所の見学会にも参加してくれて、学部のゼミ生を刺激してくれた。

 修士論文は、大学で学んだ経済学の知識を生かした行政学の論文だった。この2年間の勉強を、今後どのように仕事に生かしてゆかれるのか、5年後、10年後、T君にあって話を聞きたい。

2009年3月23日月曜日

鳩山御殿を訪ねる

 鳩山4代が暮らした音羽御殿へ出かけた。むかし、護国寺や音羽のあたりを通って、四谷の私学にバスで通学していたから、久しぶりに講談社のビルを見て小学生のころが懐かしく思い出された。講談社ビルは昔のままだが、ビルの谷間に埋もれて目立たなくなった。護国寺の駅から歩いて、鳩山会館へ向かう。鳩山というと由紀夫や邦夫が時の人になっているが、父に当たる威一郎が外相を、祖父にあたる一郎は首相を務めている政治家ファミリーだ。政治に興味がない私にとって、鳩山といえば、和夫と秀夫になる和夫はコロンビア大学で法学士となった後エール大学で博士となり、帰国して、教育者・政治家として名をなしたが、次男にあたる秀夫は、民法総則、物権、担保物権、債権総論。各論の体系書を書き、その弟子である我妻栄とともに、無視できない民法学者である。もっとも40代初めに学者をやめ、弁護士や政治家に転向している。

 急峻な坂を登ると平地が広がり、洋館(大正13年)が建っている。洋館の前には、バラの庭が広がる。車寄せから入り玄関の階段を上がるとホールがある。わきの応接室では、テレビで洋館の説明が行われている。この並びにさらに応接室や食堂があり、南側には張り出したサンルームがある。ホールを直進して2階に上がる階段の中段にはステンドガラスがあり、2階には、一郎、薫(一郎妻)、威一郎の展示室がある。2階の大広間は1階の応接室・食堂の上にあり、採光がよく、明るく、眺望も良い。政治家としての鳩山ファミリーに重きをおいているのか、一郎の弟にあたる秀夫に関するものは、蔵書の中にわずかにみられる程度であった。この点がちょっと残念だ。


 

2009年3月9日月曜日

スポーツ法学会の3月の理事会に出席する

 最近は教員に配分される教育研究費が少なくなる一方で、受講者に配布する資料が多くなった。「さとっち」の場合は、自己の研究資料を集めたり、学会や研究会に出かけたりするのに自腹を切らざるをえない。

 東京でスポーツ法学会の理事会を午前中に、契約法研究会を午後に開催するとの知らせが入ったので、3月○日に東京へ向かった。時間に余裕があるときは、高速バスで寝て行くが、仕事が立て込んでいるときは、新幹線で行くしかない。鉄道の場合は金券ショップを使ったこともあるが、今はJRに直接予約すれば、割安で乗車券が買えるようになった。便利な時代になったものだ。

 理事会は、入退会から審議が始まる。今回も弁護士さんや議員さんの入会者があった。ついで、9月に予定されるアジアスポーツ法学会の東京での開催に関する準備について審議が行われた。(1)費用を600万円と見積もって、当日の参加費やプログラムに広告を入れたり、法人の寄付でまかなうこと、(2)6月末までにシンポジウムの発表者(日本・韓国・中国)を決めて、原稿を二ヶ国語あるいは三ヶ国語で集めること、(3)記念講演をK先生が行うこと、(4)パンフを8月末までにつくり、3国の関係者に配布すること、(5)いつもは12月に行われている日本の学会の大会を前倒しし、翌日に開催すること、(6)この日本の学会のテーマを3つにし、3国の関係者から発表者を募ること、などが決まった。

2009年3月3日火曜日

講演をこなす

 2月28日に所属する大学の大学院法学研究科と法学部がコラボレートした講演会が行われた。「さとっち」には、「スポーツ法に関連して何か話してくれ」という申し入れがあった。そこで、三重県のフェンシングの選手がドーピング違反をしてJADAから3カ月の出場停止処分になった記事が2月中旬に出たので、この記事を深読みするような筋立てを考え、「ドーピングを考える」とした。

 当日は、講演の相方との相性が良かったのか、まずまずの入りだった。レジュメは、聞く人が大学周辺のご年配者が少なくないことを考慮して、やや詳しい資料を10頁分用意した。講義の場合は、10ページから14ページのレジュメを作成し、90分かけて説明しているから、今回の60分という依頼に対しては、この程度が適当だ。構想が熟成するのは前日が一番だから、レジュメは、当日の午前2時から明けがたまで、ときには講義直前までかけて作ることにしている。今回の講演の場合もそうなった。

 記事を出発点に、「オリンピック、野球、相撲における例を紹介し、ドーピングの規制の流れや、ドーピングと評価されるものは何か、ドーピングがなぜ禁止されるのか、を概観した後、本題である、ドーピングにおける法的な問題点」に触れた。講演会は、あまりに抽象過ぎてもお客さんを飽きさせるし、漫才調子なら品性が疑われるし、お客さんの顔を見てやらねばならないから、結構神経を使う。今回は、会場の雰囲気から、まあまあの出来だったように感じた。

2009年2月24日火曜日

うれしい話を聞く


 大学院で関わった留学生のOさんから、5月に結婚する予定というメールが届いた。Oさんは記憶に残る学生で、明るく「はちゃめちゃな」性格で、ぐいぐい押してくるので、そこそこたかられた。

 学部の卒業生だが、半年おいて大学院へはいってきた。学部時代は言葉を交わしたことがなかったが、大学院で1対1で講義をすることになった。学部のゼミ生と同じ職場でアルバイトをしていたので、一緒に勉強させることにした。チューターのような役割を期待して、はいってもらったのだが、つい羽目を外して学部ゼミ生と盛り上がることも少なくなかった。法学検定の3級は取っていたので理解力は高かったが、日本語で表現することは苦手なようにみえた。修士の1年間だけのかかわりだったが、日本語もかなり上達し、商法で論文をまとめて、昨年3月に修士を修了した。

 今年に入って、マイクロソフトのSNSで再会し、母国の大学で「ビジネス日本事情」や「日本語」の講師を勤めていたことを知った。ホットメールで行き来して、今回の「おめでたい話」を耳にすることになった。懐かしくもあり、また一抹の寂しさもある出来事だった。

2009年2月23日月曜日

取り上げるテーマについて

 朝日大学大学院法学研究科において、学生の研究に関わる過程で突き当たった問題や、学生との対話の中から感じたことをテーマとして取り上げます。また、判例研究を行なっているので、この判例に関する私見にも触れてゆきたい。

 時には学生にも何か書いてもらうことにします。